マダム信子

マダムブリュレで有名なマダム信子さんとは?[成り上がりマダムお金の教え]から学ぶ

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皆さんはマダム信子さんをご存じですか?

僕はマダム信子さんが活躍している映像しか見たことが

なかったので、順風満帆な人生を生きていた成功者だと思っていましたが、

実際は・・・壮絶な過去を生きてきた人でした。

今回【成りあがりマダムお金の教え】の本から

彼女が仕事にかける熱い思いを皆さんと一緒に共有したいと思い記事にしました。

 

【成り上がりマダムお金の教え】参考書籍

 

成りあがりマダムお金の教え 55歳どん底から大成功した「超お金哲学」

 

マダム信子さん:過去の経歴

21歳で北新地のクラブに勤めた事から身を起こす。

銀座ナンバー1ホステスを経て、38歳で銀座のクラブのママになる。

バブルがはじけてお店をたたみ、48歳で大阪に戻り焼き肉屋を始める。

チェーン店を4軒オープンしたが、狂牛病問題や火災に見舞われ崖っぷちに立つ。

55歳の時に[マダムシンコ]を始める。

2007年に[マダムブリュレ]が大ブレーク。

 

大ブレークした[マダムブリュレ]とは?

MADAME SHINCO(マダムシンコ) マダムブリュレ 1ホール(15cmx4cm)

 

メープルシロップたっぷりのホットケーキとバウムクーヘンを合わせたお菓子です。子供時代の夢を形にした「昭和ロマンの懐かしさ漂うスイーツ」。

 

本から学ぶマダムの教え。

本の内容を引用しています。私が特に印象に残った文章を記事としましたが、

一部本文の構成とは違った表現としています。

 

わずかでもお金になることがあったら、何でもやりなさい。そういう意識を持ってたら、ちょっとずつ大きな仕事が寄ってきます。

 

焼き肉店がダメになって、抱え込んだ借金を返すためにも早く新しい仕事をしなければともがいていた時もそうでした。

[何か自分にできることはないか?] 【何かお金になることはないか?】

と考えながら町を歩いていたそうです。

たまたま入った喫茶店で、そこにあった雑誌をペラペラめくっていた時、

[町屋喫茶募集]これしかないと飛びついたそうです。

このお店がいまの[マダムシンコ アトリエ店]になりました。

 

[稼ぐ時は今しかない!]そういう必死の思いで現場経験をうんと積まんと、お金なんて入ってけぇへんよ。

 

バウムクーヘンもそう。焼いて、切って、蜜をつけて砂糖をつけて、乾かしてバーナーで焼きつける。それから冷蔵庫でしばらく寝かせて、出したらシーラーで巻く。

砂糖の塊がほんのちょっとでも残らない様に、ピンセットを持って全体をチェックする。

そういうたくさんの工程を経て1日に700個作る。

その作業を私は全部やってきました。

いつも[稼ぐ時はいましかない]という必死の思いで、製造現場でうんと働きながら、経営の舵もきっていたのです。

 

自ら会社の[広告塔]になりなさい。

 

ある意味で従業員はみんな広告塔です。会社のバッジを付けて、会社の名前の入ったユニフォームを着て、広告塔としての意識を持ってもらうことが大切です。

店や町に出る従業員は全員が世間の目に触れる看板なんです。そういう意識を持って仕事をするかどうかで、売り上げの数字は格段に違ってきます。

 

一位でなければダメなんです。どんなことでもNO1になれば、数字へのこだわりが生まれます。やる気も出るし、成長スピードも加速します。

 

どんな仕事でも、やる以上は一番を目指す。それが[シンコの流儀]です。

その理由は第一に、トップを目指すからこそ、[数字・成績を上げる]ことに対する

意識を強く持って、仕事に取り組むようになるからです。

ようするに、[一番になるための工夫]をし、

どんなことをしたらどのくらい売上が上がるかを検証しながら、自分を成長させていくんですね。

そうやって仕事が出来るようになると、黙っててももらえるお金が増えていきます。

 

まとめ

今回の記事はいかがだったでしょうか?

まだまだ紹介したい印象に残った[マダムの教え]があります。

この本を読んで気が付かされた日々の行動の起こし方も学ぶ事が出来ました。

成功者になるには、日々の行動がとても大切ですね。

 

 

 

 

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